アニソンカラオケ黎明期

2019年03月28日22:52

カラオケが巷に普及しはじめたのは90年代だった。

初期はCDやLDカラオケが主流で、カラオケ機本体にディスクが収蔵されていないといけないため、曲数は少なかった。

そのため、アニソンは少なく、いわゆる子供向け番組のものがいくつかという感じだった。

なので、ヲタはその数少ないアニソンか、一般曲として収蔵されているアニソン(TMネットワークの「GetWild」など)をうたったものだ。

また、当初は1曲ごとにチャージをとられるため、ルームに入るとまず小皿に100円玉を出すなんてこともした記憶がある(今でもスナックとかはそういうのあるかな?)


そんな時、ヲタに大ブームを巻き起こした「セーラームーン」が放映開始となるが、そのOPである「ムーンライト伝説」も当然、すぐにはカラオケには入らなかった。

ところが、東映LDカラオケを扱っている店舗では、LDカラオケが入ったらしい、という噂をきき、横浜のカラオケ屋にあるらしい!となって、ヲタ仲間とわざわざそこまでいき、ムーンライト伝説を十数回連続で歌うなどというバカなことをした記憶がある。


ちなみに、これも東映LDカラオケだったと思うのだが、銀河鉄道999で、メガロポリス駅での汽笛から空中に飛び出すシークエンスまでの映像をSEつきで流した後、イントロがはじまるという、カラオケとは思えない演出をされた動画カラオケがあったのだが、その後、めぐりあうことができていない。あれは幻だったのだろうか。


マンモス喫茶カトレア

2019年03月25日03:09

マンモス喫茶カトレア。


新宿駅地下街、B6出口(紀伊国屋書店のあたり)にあった、巨大喫茶店。

昭和から平成初期の関東のヲタクなら一度はお世話になったことがあるんじゃないかという有名な喫茶店。

何席あるのだかよくわからないくらい広い喫茶店で、週末に20人とか30人で行ってもすんなり入れるし、何時間粘っても文句を言われなかった。

店内中程の一般席と団体席を分けるあたりに(店内なのに)噴水があって、90年ぐらいまで稼働していた(のちに水は止まってしまったが)。


ただし、私がよくいくようになった90年前後にはもうかなり老朽化していて、椅子の布がはがれてスポンジやスプリングが露出していたり、小さなGが机の上を這っていたこともあったけど、気にしなかったりした。

また、提供される品物が「それなり」で、会合中に「飯食ってくる」と他店に抜け出して、また戻ってくるなんてこともよくやっていた。


大学のサークルの会合。

オフ会の待ち合わせ。

あるいはオフ会そのもの。

コミケ前にはカタログチェックする人たちが複数。

コミケ後には戦利品を山分けする人たちが複数。

SLGやTRPG卓がたっていたこともあった。


(郵便)ネットゲーム時代だったが、特に約束することなく店にいっても、だれかいるという経験をしたのも、大学近くの喫茶店か、ここしかなかった。


確か、上階にも喫茶店?(アンソニーズカトレアというカトレアの別店舗だったようです。下より先になくなったようですが)、かなにかがあって、ガラス越しに見下ろす形でカトレアの店内が見えるという変わった構造だった。


90年代中頃に閉店したときは、急な閉店だったので、待ち合わせしようと思っていた人たちが難民化し、店を囲ったベニヤにメモを張り付けていたのを思い出す。

その後、まんが喫茶ヨムヨム(マンガ喫茶としてはかなりはやい)となり、さらに何度も店舗がかわって、飲食業でもなくなっている。


よく、私は冗談めかして「俺の青春は新宿の地下でカトレアの噴水とともに埋まっている」と言うことがあるのだけれど、本当に青春の思い出の場所だった。


ただ、インターネット&デジカメ隆盛期以前ということもあってインターネット上ではほとんど情報が見られない。

当時の店内写真とか、もう一度見たいものです。

コスプレブームの到来と今後

2019年01月17日20:30
コスプレブームにはたまげましたw

しかも、女性レイヤーがこんなに増えるとは。

カイブの登録数などからみても、9:1とか8:2くらいじゃないでしょうか?

男性単独入店禁止のコスプレスタジオ(Bootyなど)や、男性更衣室の割り当てがトイレだったりするコスイベなんてのもありましたねw 50人規模のコスイベで「今日は3人も男性レイヤーがいるんですよ!」と言われたこともありました。


コスプレ人口の増加に伴い、従来からある撮影用スタジオがコスプレイヤー用に貸し出しをはじめ、コスプレ専用スタジオも登場し……。

コスプレ専用の大型スタジオ(Booty、ハコスタなど)の至れり尽くせり具合には、最初にいった時には驚きましたw

そして、前述しましたが、デジタルカメラの普及と相まって、コスプレは「撮影」の比重がグッと重くなったようです。

あるいは、SNSなどで発信が容易になったこともあって、素晴らしい写真を見ると、同じような写真を撮りたい、撮られたい!と思うようになるからかも?


しかし、平成後半を駆け抜けたコスプレブームもそろそろ頭打ちのようです。

人数的に主流である女性レイヤーはある程度の年齢で「コスプレ卒業」をするのが通例のようです。

となると、少子化のあおりをうけ、今後のコスプレ人口は減少することになるでしょう。

今後はSeekαさんのようにスタジオ側カメラマンがいる、Bootyのように一眼レフ+三脚+無線レリーズ貸し出し、などで一人コスで撮影まで可能なところが生き残っていくのかも?


それと、今は合わせがTwitterや元々の人脈で募集されることが多いようです。

後者は新しい人が入りにくいし、前者は検索しにくい。

合わせ募集用プラットホームがニッチ的に伸びるかもしれませんね。

条件(地域や作品名など)を登録しておくと、それに合致する合わせが登録された時にPUSH通知がくるような。

んで、イベント後には写真がUPされた提携アルバムサービスのURLとパスワードを参加者にのみ通知されるような。

……あれ? これ出会い系サイト関連法で規制されそうだ。



衣装の既成品とオーダ

2019年01月16日20:00
コスパが1995年からコスプレ衣装の既製品販売をはじめたのは有名ですね。
最も初期のコス衣装企業として現在も事業を継続しています。

しかし、現在ではほとんど語られなくなった最初期のコス衣装企業があります。それが東京都練馬区江古田にあったミリタリーショップ「ギャリソン」だ。
この店は中国射撃ツアー(RPGや軍用フルオートが撃てるというのがウリだった)を開催するなどユニークな店として知られていたが、1988年頃、どういうツテでかウルトラマンセブンのウルトラ警備隊のステージ用衣装を手掛けることになった(ミリタリレプリカの関係で被服製造会社にツテがあったのではないかと推察される)。これを一般向けにも販売した。
その後、ミリヲタにも人気が高かったパトレイバーの衣装を既製品とし製造・販売するようになった(ライセンスあり)。

■アームズマガジン89年6月号広告。前年(?)から販売していたウルトラ警備隊制服に加えて、パトレイバー映画版の衣装を販売することを告知
CXyzZMJUkAAYvfd

■同誌89年8月号広告。実際に発売になったという告知。
CXyzZbnVAAEeDzH

■同誌90年4月号。パトレイバーTV版の衣装製作の告知。
CXy0PhgUwAIcpr1

■同誌91年1月号広告では既に販売になっていることが広告されている。また、映画ケルベロスの衣装製作をしていることも告知されている。
CXy0PfwUoAA7gd0


■同誌92年1月号広告で映画ケルベロスで使った衣装をそのまま販売していることがわかる。また、小さい囲みだが、衣装のオーダメイドを受け付けていることもわかる。これは、最初期のコス衣装オーダ。
CXy0r1kUAAEXcCa

■同誌92年8月号、10月号広告。機動戦士ガンダム0083の衣装の広告がある。
CXy1obUUAAA7Oh2
CXy1o2LUEAA_ZaO

こうして、カタログをつくって受注販売をするようになり、さらにはフルオーダーも受け付けるようになった。
店長のY氏は深夜番組のコスプレコンテストに審査員として出演するなど、業界でそれなりの地位を築いた。
しかし、やがて経営に失敗し、ギャリソンは閉店した。
「いろいろあった」し、もうかなりの時間がたっているため、ほとんど語られることがない店であるため、ここに記しておきます。



ともあれ、こうした商業ベースのコス既製品の登場があってこそ、その後のコスプレブームが到来したものと思っています。
なにせ、自作に比べてずっとハードルが低いですから。

それともう一つ、ウイッグについても触れておきます。
昔はコスプレ用のウイッグなんて存在しなかった。
そのため地毛のコスプレが多かった。
でも、やっぱりアニメカラーに近づきたいということで、使われるようになったのがヘアカラースプレーなのです。
で、これをコスプレ会場(の洗面所の鏡の前)で着色するレイヤーがでてくるようになったんですね。当然、洗面所が汚れてしまうし、掃除も厄介。主催者が会場に怒られます。
というわけで、ウイッグ全盛期になっても長く禁止の張り紙が洗面所に貼ってあったというわけです。

個人的にはウイッグが増え始めたのは、エヴァの頃からと感じています。

コスプレブーム以前

2019年01月15日20:00
コスプレブーム以前、コスプレイベントは2010年代前半のように多くはなかった。

コミケは大型総合コスプレイベントとしても機能していた。
今ほどはレイヤーが多くなかったので、晴海では新館2階が更衣室になっていて、そこに荷物を置きっぱなしなんてこともしていた。
ついでにいえば、コミケでの撮影カウントダウンは30年前から既にあったように思う。
私が体験したのは(作品ごとの)集合写真でのものだったが。キリがないんで。

コスプレイベントとしては、コスプレダンパが結構、行われていた。1994年10月にはブロッコリーが芝浦GOLDでの企業による大型ダンパの嚆矢となるものを開催した(確か企画告知当初はジュリアナでの開催となっていたが、それ以前に閉店になったため、GOLDになってような記憶がある)。

この頃、撮影はデジタルカメラはなく、フィルムカメラだったため、今のように気軽に写真をやりとりできなかった。なにせ現像・プリントにもそこそこ金がかかるうえ、物理的なやりとりも発生するからだ。
夏コミでの写真を冬コミでいただくなんてこともあった。
今でいう自撮的撮影は写ルンです、速報ならインスタントカメラ(といっても広める手段はあまりないのだが)といった感じだろうか。
今のように「撮影されること」の比重が増えていくのは、データが簡単にやりとりでき、また、すぐに確認できるようになったデジタルカメラ普及と歩を一にしているように思う。

なお、軍装系にはまた別の流れがあって、普段は着用できない軍服を集まって着用する「軍装パーティ」や、史実を再現するような「ヒストリカルゲーム」があり、特に後者は今のコスプレ用語でいえば、ロケで大型合わせみたいな部分があり、被写体としてもかなり気をつけていたように思う。

また、性風俗の流れでの「コスプレ」というのは、単語を拝借する形で、ナースとかミニスカポリスだったりとかでのプレイのことを指していて(今でもその用語でも使われる)、アニコスとは別の意味で存在していましたが、1996年に「聖コスプレ学園渋谷港」というアニコスをメインとした性風俗店が登場し、両者の意味が混在していく。
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