コスプレブームの到来と今後

2019年01月17日20:30
コスプレブームにはたまげましたw

しかも、女性レイヤーがこんなに増えるとは。

カイブの登録数などからみても、9:1とか8:2くらいじゃないでしょうか?

男性単独入店禁止のコスプレスタジオ(Bootyなど)や、男性更衣室の割り当てがトイレだったりするコスイベなんてのもありましたねw 50人規模のコスイベで「今日は3人も男性レイヤーがいるんですよ!」と言われたこともありました。


コスプレ人口の増加に伴い、従来からある撮影用スタジオがコスプレイヤー用に貸し出しをはじめ、コスプレ専用スタジオも登場し……。

コスプレ専用の大型スタジオ(Booty、ハコスタなど)の至れり尽くせり具合には、最初にいった時には驚きましたw

そして、前述しましたが、デジタルカメラの普及と相まって、コスプレは「撮影」の比重がグッと重くなったようです。

あるいは、SNSなどで発信が容易になったこともあって、素晴らしい写真を見ると、同じような写真を撮りたい、撮られたい!と思うようになるからかも?


しかし、平成後半を駆け抜けたコスプレブームもそろそろ頭打ちのようです。

人数的に主流である女性レイヤーはある程度の年齢で「コスプレ卒業」をするのが通例のようです。

となると、少子化のあおりをうけ、今後のコスプレ人口は減少することになるでしょう。

今後はSeekαさんのようにスタジオ側カメラマンがいる、Bootyのように一眼レフ+三脚+無線レリーズ貸し出し、などで一人コスで撮影まで可能なところが生き残っていくのかも?


それと、今は合わせがTwitterや元々の人脈で募集されることが多いようです。

後者は新しい人が入りにくいし、前者は検索しにくい。

合わせ募集用プラットホームがニッチ的に伸びるかもしれませんね。

条件(地域や作品名など)を登録しておくと、それに合致する合わせが登録された時にPUSH通知がくるような。

んで、イベント後には写真がUPされた提携アルバムサービスのURLとパスワードを参加者にのみ通知されるような。

……あれ? これ出会い系サイト関連法で規制されそうだ。



衣装の既成品とオーダ

2019年01月16日20:00
コスパが1995年からコスプレ衣装の既製品販売をはじめたのは有名ですね。
最も初期のコス衣装企業として現在も事業を継続しています。

しかし、現在ではほとんど語られなくなった最初期のコス衣装企業があります。それが東京都練馬区江古田にあったミリタリーショップ「ギャリソン」だ。
この店は中国射撃ツアー(RPGや軍用フルオートが撃てるというのがウリだった)を開催するなどユニークな店として知られていたが、1988年頃、どういうツテでかウルトラマンセブンのウルトラ警備隊のステージ用衣装を手掛けることになった(ミリタリレプリカの関係で被服製造会社にツテがあったのではないかと推察される)。これを一般向けにも販売した。
その後、ミリヲタにも人気が高かったパトレイバーの衣装を既製品とし製造・販売するようになった(ライセンスあり)。

■アームズマガジン89年6月号広告。前年(?)から販売していたウルトラ警備隊制服に加えて、パトレイバー映画版の衣装を販売することを告知
CXyzZMJUkAAYvfd

■同誌89年8月号広告。実際に発売になったという告知。
CXyzZbnVAAEeDzH

■同誌90年4月号。パトレイバーTV版の衣装製作の告知。
CXy0PhgUwAIcpr1

■同誌91年1月号広告では既に販売になっていることが広告されている。また、映画ケルベロスの衣装製作をしていることも告知されている。
CXy0PfwUoAA7gd0


■同誌92年1月号広告で映画ケルベロスで使った衣装をそのまま販売していることがわかる。また、小さい囲みだが、衣装のオーダメイドを受け付けていることもわかる。これは、最初期のコス衣装オーダ。
CXy0r1kUAAEXcCa

■同誌92年8月号、10月号広告。機動戦士ガンダム0083の衣装の広告がある。
CXy1obUUAAA7Oh2
CXy1o2LUEAA_ZaO

こうして、カタログをつくって受注販売をするようになり、さらにはフルオーダーも受け付けるようになった。
店長のY氏は深夜番組のコスプレコンテストに審査員として出演するなど、業界でそれなりの地位を築いた。
しかし、やがて経営に失敗し、ギャリソンは閉店した。
「いろいろあった」し、もうかなりの時間がたっているため、ほとんど語られることがない店であるため、ここに記しておきます。



ともあれ、こうした商業ベースのコス既製品の登場があってこそ、その後のコスプレブームが到来したものと思っています。
なにせ、自作に比べてずっとハードルが低いですから。

それともう一つ、ウイッグについても触れておきます。
昔はコスプレ用のウイッグなんて存在しなかった。
そのため地毛のコスプレが多かった。
でも、やっぱりアニメカラーに近づきたいということで、使われるようになったのがヘアカラースプレーなのです。
で、これをコスプレ会場(の洗面所の鏡の前)で着色するレイヤーがでてくるようになったんですね。当然、洗面所が汚れてしまうし、掃除も厄介。主催者が会場に怒られます。
というわけで、ウイッグ全盛期になっても長く禁止の張り紙が洗面所に貼ってあったというわけです。

個人的にはウイッグが増え始めたのは、エヴァの頃からと感じています。

コスプレブーム以前

2019年01月15日20:00
コスプレブーム以前、コスプレイベントは2010年代前半のように多くはなかった。

コミケは大型総合コスプレイベントとしても機能していた。
今ほどはレイヤーが多くなかったので、晴海では新館2階が更衣室になっていて、そこに荷物を置きっぱなしなんてこともしていた。
ついでにいえば、コミケでの撮影カウントダウンは30年前から既にあったように思う。
私が体験したのは(作品ごとの)集合写真でのものだったが。キリがないんで。

コスプレイベントとしては、コスプレダンパが結構、行われていた。1994年10月にはブロッコリーが芝浦GOLDでの企業による大型ダンパの嚆矢となるものを開催した(確か企画告知当初はジュリアナでの開催となっていたが、それ以前に閉店になったため、GOLDになってような記憶がある)。

この頃、撮影はデジタルカメラはなく、フィルムカメラだったため、今のように気軽に写真をやりとりできなかった。なにせ現像・プリントにもそこそこ金がかかるうえ、物理的なやりとりも発生するからだ。
夏コミでの写真を冬コミでいただくなんてこともあった。
今でいう自撮的撮影は写ルンです、速報ならインスタントカメラ(といっても広める手段はあまりないのだが)といった感じだろうか。
今のように「撮影されること」の比重が増えていくのは、データが簡単にやりとりでき、また、すぐに確認できるようになったデジタルカメラ普及と歩を一にしているように思う。

なお、軍装系にはまた別の流れがあって、普段は着用できない軍服を集まって着用する「軍装パーティ」や、史実を再現するような「ヒストリカルゲーム」があり、特に後者は今のコスプレ用語でいえば、ロケで大型合わせみたいな部分があり、被写体としてもかなり気をつけていたように思う。

また、性風俗の流れでの「コスプレ」というのは、単語を拝借する形で、ナースとかミニスカポリスだったりとかでのプレイのことを指していて(今でもその用語でも使われる)、アニコスとは別の意味で存在していましたが、1996年に「聖コスプレ学園渋谷港」というアニコスをメインとした性風俗店が登場し、両者の意味が混在していく。

コスプレと規制

2019年01月14日13:31
またもコミケ年表(https://www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html)から引用するが、1980年(コミケ15)では「コスチュームプレイヤーが激増」とある。
そのようにコスプレが拡大するにつれ、色々と規制が入ってきた。

コミケではキャプテン翼(C翼と略された)レイヤー発端といわれるサッカーボール、聖闘士星矢のアンドロメダ瞬レイヤー発端といわれるチェーン持ち込み禁止とかは危険ということで禁止され、さらに長物規制(これはコスプレだけではない=無線機のアンテナなどにも適用されたが)もされていった。
また、警察・自衛官などのコスプレも禁止となったが、これは元々、法律的にアウトなので、最初からダメでしかるべきだったものだ。

一部イベントでは、「現用軍服と見分けがつかない」という理由(拡大解釈)で軍装が広く禁止される運用していたこともあったという(伝聞)。このあたりは、軍装という厄介避けだったおかなぁ、と思っている。

コミケではコスプレ統括の牛島えっさい氏がミリタリ趣味をもっていたこともあって、そんなことにはならなかったが、一度だけ、ドイツ軍装が禁止になるという騒動だがあった。
詳しい顛末はコミケ51でのドイツ軍コスプレ規制の経緯があるので、参考に。
なお、幕張でのC51初日の出来事だった。当時、初日は軍装せずに参加していた私のところに、ドイツ軍装仲間であるスタッフのW氏から携帯電話に連絡があり「ドイツ軍装備をいましているか?」「イスラエル大使館からの抗議でドイツ軍装備が禁止なった」という内容だった。
コミケ二日目にドイツ軍装をする予定にしていた私は、これでドイツ軍装を中止した思い出がある。

閑話休題。
コミケ自体の規模拡大があって、最初の頃は認められていたアトラクション(第一期晴海時代=1980年台中頃には、花いちもんめとか、軍装によるファミコンウォーズ行進とかあった)も安全のため禁止となる(あの混雑ではやむをえまい)。
なお、コミケの初期には後にゴジラシリーズのスーツアクターにもなる破李拳竜氏によるアトラクションショーなどもあったというが、さすがに未見です。見ることができたのは、1996年の「さよなら晴海!!コミケットスペシャル」の時だけですね。

そして、後世に残る大きなトピックがコミケにおける「コスプレでの来退場禁止」だったと思う。
本来、公然猥褻にでもならない限り、どんな服装で街を歩こうが自由なのだが、コスプレで街を歩くことに警察に苦情が入ったようだ。コミケの記録では1983年(コミケ23)に警察からの指導でコスプレでの来退場が禁止になったとある。

これが各イベントなどでも踏襲され、コスプレの「マナー」として今日まで定着している。

繰り返しになるが、本来は衣装をきて街を歩くのなんて法律上の問題はないはずで、60年代ー70年代だったか、上野アメ横の某ショップの店員が旧日本軍の軍服のまま山手線で通勤していたというのは、Gun誌のエッセイで読んだことがあったなぁ。
最近ではハロウィンもあるし、街中イベントも増えてきて、風向きはかわりつつあるようには思うけれども。

コスプレ黎明期

2019年01月13日21:47

コミケは日本SF大会の流れを引いている(実際、米澤前代表はSF大会の参加者だった)ともいわれる。

日本SF大会は、世界SF大会(ワールドコン)の日本版である。その一部としてSF同人誌(「ファンジン」と呼ばれる)の即売会があり、マスカレードがあったのである。

マスカレードとは、ファンが好きな作品の仮装をするもので(有名なところではスタートレック)、今のコスプレの源流の一つといえる。


コミケにおいても、初期からコスプレイヤーがいたことが知られている。

コミックマーケット年表(https://www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html)によれば、1978年(コミケ8)頃からコスプレがあらわれたとある。


しかし、この頃は既成衣装はおろかオーダーも存在しなかったので、衣装は自作(既製品改造とか、友人依頼を含む)しかなかった。

また、今のように女性レイヤーが圧倒的多数だったわけではなく、特に男性人気作品のコスプレをする女性は少なかったように思う。

80年代からの有名レイヤー(当時はそういう言葉はなかったが)である一本木蛮さんなどはそういう意味でも目立っていたと感じた。

一方でこの頃から、「ボンレスラム」などという悪口も存在した記憶がある。


なお、こうした一般的(アニメ系)のコスプレとは全く別の流れがあるのが軍装だった。軍装に関しては古くからレプリカ(もっと古くは実物)という既製品が存在したので、既製品レイヤーがほとんどだった。

私がしっている80年代後期ごろの既製品(レプリカ)といえば、旧日本軍関係は中田商店、ふきや商店。ドイツ関係はエリカクラブ、サムズミリタリヤ、アルバン(あの大盛堂書店旧本店地下にあった)あたりがメジャーどころだったのではないか。


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